フィンセント・ファン・ゴッホ
1853年3月30日 — 1890年7月29日
炎の画家、魂を燃やした37年の生涯
生前に売れた絵はたった1枚。
しかし死後130年以上が経った今も、彼の作品は世界中の人々の心を震わせ続けている。
37年間の激動の人生
3月30日、オランダのズンデルト村でプロテスタントの牧師の家庭に誕生。 幼少期は内向的で繊細な子供だった。
ハーグ、ロンドン、パリの支店で画商として働く。 この時期に多くの名画に触れ、芸術への情熱が芽生える。
宣教師として失敗した後、画家になることを決意。 弟テオからの経済的支援を受けながら、独学で絵を描き始める。
暗い色調で描かれた初期の傑作。農民の厳しい生活を力強く表現。 オランダ時代を代表する作品が誕生する。
弟テオのいるパリへ移住。モネ、ルノワール、ロートレックらと交流。 印象派の影響を受け、パレットが劇的に明るくなる。 日本の浮世絵にも深く傾倒する。
南フランスのアルルへ移住。「黄色い家」に住み、 「ひまわり」「夜のカフェテラス」など傑作を次々と制作。 ゴーギャンとの共同生活が始まるが、精神的に不安定になる。
ゴーギャンとの口論の末、自分の左耳を切り落とす。 精神病院に入院。この頃から精神疾患が悪化する。 しかし入院中も絵を描き続けた。
精神療養院に自ら入院。それでも創作を止めず、 代表作「星月夜」をここで描く。 約150点もの作品をこの期間に制作した。
パリ近郊のオーヴェルへ移り、医師ガシェの治療を受ける。 この地で「カラスのいる麦畑」など70日間で約80点を制作。 7月27日に銃で自らを撃ち、2日後の29日に息を引き取る。享年37歳。
900点以上の油彩画と1100点以上の素描を遺した
The Starry Night — 1889年
渦巻く夜空と輝く星々。精神療養院の窓から見た夜景を基に描いた傑作。 現在はニューヨーク近代美術館(MoMA)が所蔵。 世界で最も有名な絵画の一つ。
Sunflowers — 1888年
黄色の饗宴。アルル時代に友人ゴーギャンを迎える部屋を飾るために描いた。 シリーズとして複数存在し、日本では東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館が所蔵。
Wheatfield with Crows — 1890年
死の数週間前に描かれた晩年の傑作。 荒れ狂う空と黒いカラスが不安と死の予感を暗示する。 ゴッホの精神状態と人生の集大成ともいえる作品。
Café Terrace at Night — 1888年
アルルのフォーラム広場を舞台にした夜景。 黄色いカフェの灯りと星空の対比が美しい。 黒を使わずに夜を表現した画期的な作品。
Almond Blossom — 1890年
弟テオの息子(甥)の誕生を祝って描いた作品。 日本の浮世絵の影響が色濃く表れた青空に白い花が美しい。 希望と生命力にあふれた晩年の名作。
Van Gogh's Chair — 1888年
シンプルな藁椅子が存在感を放つ作品。 対になる「ゴーギャンの椅子」と共に、 二人の画家の関係と性格の違いを椅子で表現した傑作。
弟テオへの手紙から生まれた言葉たち
"夢を見ることをやめないかぎり、現実も夢をあきらめない。"
— Vincent van Gogh
"私は自分の情熱を絵の具に溶かして、キャンバスに叩きつける。"
— Vincent van Gogh
"愛するということは、愛されることよりも大切だ。"
— Vincent van Gogh
"星を見上げると、いつも夢を見てしまう。なぜ、輝く点々が大空に見えるのか? それはきっと、我々が死ねばそこへ旅立てるからではないだろうか。"
— Vincent van Gogh
"私は絵を描くことによって、自分の内に秘めた何かを表現したい。そのためなら、どんな苦しみも厭わない。"
— Vincent van Gogh
死後に花開いた、不滅の芸術
アムステルダムに1973年に開館。200点以上の油彩画と500点以上の素描を所蔵。 年間200万人以上が訪れる世界有数の美術館。
1990年に「ガシェ博士の肖像」が当時の最高額8250万ドルで落札。 2022年には「オランダの女」が9270万ドルで落札された。 生前に1枚しか売れなかった作品が、今や数十億円の価値を持つ。
「炎の人ゴッホ」(1956年)、「ゴッホ〜真実の手紙〜」(2018年)など 多くの映画・ドラマの題材に。イマーシブ展「ゴッホ・アライブ」は世界中で人気。
表現主義、野獣派(フォーヴィスム)の先駆者として、 マティス、ピカソをはじめ数多くの芸術家に多大な影響を与えた。 現代アートの礎を築いた存在として評価されている。
「私の作品には、命を賭けているのだ。そのため半分は正気を失ってしまったが——」
1890年7月 — ゴッホ最後の手紙(未投函)